@mikanshibano on Mastodon

Mastodon@mikanshibano on Mastodon

2020年9月26日土曜日

二巡目のブックカバー記録

単純な記録として、今回はtwitterで @kiwa_tom さんからいただいたブックカバーチャレンジというネズミ講……再び。コメントなし、次の方への申し送りなしで淡々と写真だけ挙げていった記録に、こっそりここでコメントを。私の書籍への意地汚い執着は奥床しい彼女にもバレていたので、お話をいただいたのだと思います。

【2020/9/18】樋口州男『将門伝説の歴史』

某所喫茶店での図書館読書を突発的に。北関東の人間という、あまり思い入れもないアイデンティティに無理矢理立ち止まっているのは、ひとえに既存体制へのもやもや感をこじつけて、将門の怨霊に頼りを寄せているから。それはともかく、よくわからない利根川水運の文化との関わりという宿題とも重なる収穫。書誌をたどれる道筋をつけた優しい先生の入門書。


【2020/9/19】ポール・オースター編『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』

凧と缶ビールの話がいちばん好き。暮らしの中の景色をクロッキーみたいにとどめる記録。

【2020/9/20】伊藤比呂美『青梅』

思春期の読書です。たぶん高校生。結局、自分には遠い感覚であると更年期の今は思うけど、なんかこういうこともわからないといけないという青臭い向学心に駆られていた。でも好きだったのは本当。枯れた草が生えている荒れた河原の景色とか。

【2020/9/21】橋本治『革命的半ズボン主義宣言』

これも高校生の時の読書。広告屋になるか…とか思っていたチャラい展望をきっぱりと排除して、もう小説家になるしか未来はないと思い詰めた。そういう青春ですね。小説家にはなれなかったけど、少しは真面目に生きるきっかけになったかもしれないから、まあいいか。

【2020/9/22】アーサー・ケストラー『スペインの遺書』

こういう本は、読んでいて高揚する。20代だな。今読み返すと違う印象になるかも。引っ越しに伴う蔵書の大量処分を生き延びて、やはり手元に置いておきたい本。ババアになったらまた読もう。

【2020/9/23】中川正文、梶山俊夫『ごろはちだいみょうじん』

世の人がもてはやす再開発にいちいち腹を立てる自分を形成したのは、幼少期に読んだこれとか『ちいさいおうち』の教育的効果なんだろうか。お人好しなごろはちのだらしなーい笑顔と、関西弁のちょっと意地悪で皮肉な語り口。大人になって読むと、本当に泣いてしまうんだ毎回。

【2020/9/24】チャールズ・M・シュルツ『Peanuts』

結局2巡目は古い本ばかりになりました。小学生がこの変なユーモアがわかるのか、という疑問もありましょうが、よくできているのです。不本意ながら、ルーシーとペパーミントパティとサリーとマーシーを全部足して割ったら私になるのかも。定番化してここ10年くらい夏の間はこれしか履かないビルケンのサンダル、ペパーミントパティのサンダルみたいだな。女の子らしい格好を教師に強要されて辛くなっちゃうエピソード、彼女と一緒に胸を痛めていた。

2020年5月7日木曜日

「自粛」の枝葉の話

閉鎖された遊具

自粛要請という言葉自体が矛盾しているのだが、なんとなく人々は外で遊ぶのも気後れして、殺気立って買い物している。トイレットペーパーの品不足は急に解消した。納豆も戻りつつあるが、今度は小麦粉が消えている。みんな何をしてよいのかわからず、とりあえずできることが買い物くらいしかないのだろう。消毒用アルコールとマスクは相変わらずほぼ品切れのまま。

そんな東京の連休の谷間に、フェイスブックで回ってきた「ブックカバーチャレンジ」の7日間の記録を再録する。1冊ごとに誰かにバトンを回すルールだけど、私にはそんなに友だちがいなかったから、これは「盲腸線」になった行き止まりの支線の終点。


【2020/4/30】1日目『ゆうかんな女の子ラモーナ』

『チョコレート戦争』(※友だちが私に回してくれた際の選書)で思い出したこと。大人の押し付けてくる不条理な決めつけを拒否する……というのは、そういえば子ども時代の自分にはとても大切な主題でした。大人と子どもの力関係は圧倒的に不平等で、大人の権力の前に、子どもは圧政下の細民のごとく無力なのです。そんなのフェアじゃない!と憤慨するのですが、「つべこべ屁理屈を言うんじゃありません!」と一蹴されてしまう毎日。

この力関係を逆転することが今は無理なのだとしたら、せめて子どもの頃の悲しみや悔しさを絶対に忘れない大人になってやる、と自分に誓ったのです。つらかった日々をのほほんと懐かしんだりしたら許さないからな、と、拙い字で未来の自分に宛てた言葉が、私の日記帳には残っています。

『ゆうかんな女の子ラモーナ』(Beverly Cleary作、松岡亮子訳、学習研究社刊)は、そんな小学校2年生の自分にとって唯一無二だった物語。

舞踏会に招かれるお姫様じゃなくても、魔法が使える伝説の少年じゃなくても、自分の頭で納得いくまで考えたり、笑われたって毅然として主張したりしなきゃいけない重要な場面が暮らしにはいくつもあって、そういう日々の冒険に「勇敢」に立ち向かう小学生ラモーナの悲喜を描いています。

原題は『Ramona the Brave』とのこと。すごいタイトルです。原作は1975年刊行、日本での刊行が1976年なので、日米の違いはあれど生活描写がリアルな感じなんですね。人気の「ヘンリーくん」シリーズの姉妹編になりますが、私は断然ラモーナです。


【2020/5/1】2日目『The Stray Shopping Carts of Eastern North America: A Guide to Field Identification』 

お年玉を全部持って、空のリュックを背負って神田に行くのが正月行事になった高校生くらいから、私の書棚は無秩序に膨張し始めました。本屋や古書店でバイトをすると、社割と客注というドーピングによってさらに箍が外れた。その後も稼ぎが入れば本を買い、稼ぎがなければブックオフで100円の本を漁る……と、欲望の限りを尽くすことに。
しかし、溢れた本を送り付ける「実家という名のブラックボックス」にも限りがある。家屋敷と蔵書を子孫代々伝えられる人はごく少数で、自分はそういうご身分でもありません。最近の引っ越しを機に、六畳一間の安アパートの床まで埋め尽くしていた雑多な本をついに数百冊処分しました。精鋭だけ残したつもりなんだけど、あれだね。柿ピーのピーナツがいくら大事に見えても、ピーナツだけ集めたら、それはもう柿ピーじゃないから。やっぱり悲しいです。
というわけで、どれだけ欲にかまけて駄本を貪っていたかという例として、2日目は『The Stray Shopping Carts of Eastern North America: A Guide to Field Identification(北米東部の逸出ショッピングカート:野外同定の手引き)』(Julian Montague作、Harry N. Abrams刊)。栄えある2006年「Diagram Prize for Oddest Title of the Year」受賞作。その名のとおり、変な表題の本に与えられるイギリスの賞なんですが、仕事絡みで当時そのニュースを読んで、つい。
各地に生息する「迷えるショッピングカート」の生態写真が満載。わかりやすいカラーチャートで簡単に種を同定できる便利なフィールドガイドです。まあ、こういう本は一生手元に置いておこう。

【2020/5/2】3日目『うるしの話』

高校生の時に、『牛乳・乳製品』という食品規格の専門書みたいな本を図書館で何度も借りた。普通科しかないうちの高校になんでそんな本があったのかはわからないけど、アイスクリームとアイスミルクの乳脂肪分の違いとか、工業的な製法とかを読んでいると、自分の悩みからいちばん遠い場所に退却できる気がした。

 『うるしの話』(松田権六作、岩波書店刊)も、同様に頭のノイズを消せる本。著者は7歳から漆芸の修業をして、東京美術学校の教授にもなった「漆聖」。技法の話も科学の話も面白いし、語り口もよい。

とにかく漆は丈夫だという説明があるのだが、なんで実家のお正月の重箱は洗剤使うなとか、絹布で拭けとか、おっかなびっくりだったのか不思議。それは本物ではなく安物の漆器ですぞ、ということになるのかな。南洋航路の豪華客船のテラスのドアを漆で仕上げて、ほら潮風にもびくともしない……という話があって驚く。本当なんだろうか。気になります。


【2020/5/3】4日目『機械と芸術との交流』

「実家という名のブラックボックス」が永遠ではないことを2日目に記したが、飽和状態の実家から発掘した『機械と芸術との交流』(板垣鷹穗著、岩波書店刊、1929年)を4日目に。

エンジニア(昔の用語では設計技師)であまり人文系には関心がなかったと思われる祖父の意外な蔵書で、ロマンティシズムから解放された合理的な機械の美をよしとする不思議な檄文の連続である。何だこりゃ、と面白半分に読んでいたら、リシツキーやマレーヴィッチ、メイエルホリドなどというロシア・アヴァンギャルドの作家や、バウハウスの建築などが出てきて、そのあたりの作品が早くから知られていたことがわかった。ジガ・ヴェルトフの「映画眼よりラディオ眼へ」全文所収。キノ・グラースざんすね、つまり。

ブックデザインも凝っているのだが、東洋の小国にアヴァンギャルドを紹介しようというテンションの高さが何となく気恥ずかしい本。歴史でしか知らなかったことの、昔の受容の雰囲気が垣間見えて面白いです。

【2020/5/4】5日目『戦車と自由 チェコスロバキア事件資料集』

『戦車と自由 チェコスロバキア事件資料集』(みすず書房編集部編、みすず書房刊)。チェコスロバキアで「プラハの春」から1968年のソ連侵攻に至るさまざまな資料を集めたもの。事態の推移にかかわる文書や記事から、占領下の街の落書きや小咄まで収めてある。刊行されたのが1968年11月という速報性がすごい。インターネットは疎か、テレビの衛星生中継すら覚束ない時代に、生々しい情報の結節点たるべく、書籍という媒体にどれだけの知的労力や資源が集約されていたのだろう……と気が遠くなる。
政治家や官僚のものだった社会を、自分たちの社会として取り戻そうとする市民たちの知恵と工夫と高揚感。この本をわくわくして読んだ頃には遠い国の歴史的な出来事でしかなかったことが、3月11日以後に「路上に出た」途端に、いろいろ突然リアルになった。この本のように、きちんとした記録を残せばよかったと思います。
そして、東京に戦車は侵攻してこなかったけど、何だろう、この無力感は。息をひそめてこっそり語るアネクドートの諦念まじりの笑いさえ、いまの日本では難しいみたい。不屈のプラハ市民みたいになれるかな。ならなきゃな。若きハヴェルだってがんばってたんだ。がんばらなきゃ、いけないんだけど……。

【2020/5/5】6日目『はるかな国 とおい昔』

こどもの日の6日目は『はるかな国 とおい昔』(W.H.ハドソン著、寿岳しづ訳、岩波書店刊)。
郷愁をもって語る子ども時代というのは、どの程度都合よく美化されているものか分からないけど、植物や動物とのかかわりを、幼い不安や驚きのまなざしを通して綴った美しいお話。ダレルの『虫とけものと家族たち』と同じく、生きものが親しい友である日々は、ユートピア的でありながら、子ども時代特有の静かな孤独にも裏打ちされている。
ダレルもハドソンも、まあ西洋人の植民地での子ども時代の回顧ということになるから、無垢な振りをするのも大概にしなさいよ、というのが現代の評価になるかもしれない。
でも、「よそ者」として自我を獲得せざるを得ない子どもの話に肩入れしてしまう癖が私にはあるみたい。大好き。

【2020/5/6】7日目『エンジン・サマー』

最終日は『エンジン・サマー』(ジョン・クロウリー著、大森望訳、福武書店)。 ビザンティンってどこだっけ、ゲルマン民族大移動って何だっけ、などという頭の悪い会話をしていた連休の最終日。歴史として記された昔のこと、実際にはどんな暮らしがあったのだろう。文字資料を失って滅びた世界で細々と生き残った人間が口伝えする混沌の歴史がこの小説の仕掛けだが、あまり筋を説明すると野暮になる。
おそらくまた、世界は後戻りできない変わり方をするでしょう。今までに書かれたたくさんの「世界終末もの」の小説でも想像できなかったような方向へ。新しいことに順応する力を失いつつある老いた自分がこの先の世界で生き延びていけるのか、あまり自信はありません。
単純なスローガンや、即効性のあるノウハウではない、「希望」の長い長い道のりを描くことは、文学にしかできないことだと思います。
それは武器にはならないかもしれないけど、耐水マッチくらいの頼もしさはあるのではないでしょうか。これから、沈む船から積み荷を捨てながら辛うじて生きるような未来が訪れても、いつかポケットにしまっておいたマッチに救われる日がくるかもしれません。

2020年4月1日水曜日

The Boxer

おなじみの曲だけど、初めて歌詞をしみじみ読む。

生まれた場所にも住む場所にも愛など持てた験しもなく、嫌になったらいつでも逃げ出せばいいや…と思って生きてきた根無し草の自分には、傷ついて耐えるニューヨークに向けて今この歌を歌うポール爺さんの切なさはきっと分からない。

政治家がテレビの前で人気取りの愚策を弄しながら、妙に深刻な顔で押し付けの連帯を強制する陰で、きっとホームレスのおじさんも、高齢のタクシードライバーも、有給取れない居酒屋バイトの子も、風俗で働くお姉ちゃんもひどい目に遭う。

誰とも言葉を交わさずに生きていける街を便利だと思ううちに、引きつった笑顔でコンビニのレジを打つベトナムの若者に掛ける言葉など、探そうと思うこともなく、うつむいて仏頂面でレシートを受け取っていた。それが私の罪だ。

結局は外的な環境要因で生存が左右される生物の一種であること、その脆弱さを助け合うことでかろうじて生き延びてきた生物種であったこと、今さら青ざめて思い至るなら、どういう未来を考えようか。

どうやって、生きたり、死んだりしようか。



2020年3月13日金曜日

鳥のいざなう方へ



ある日馴染みのない町をぶらぶらしていて、感じのいい古本屋を見つけた。そういう時はとりあえず入口に並ぶ廉価本でも何か1冊手にして、店の中を覗いてみるのが癖になっている。友人が一緒だったので中をじっくり見分する時間はなかったが、店頭の棚に初山滋の絵本があったので、買って帰ることにした。自分の世代ではあまりピンとこないが、祖母が好きだった挿絵画家だ。その程度の浅い縁でも、とにかく本屋で何か買いたいという衝動が起きたときには口実になる。きれいにビニールでパックしてあったので中身は見なかった。

帰宅して夕飯後に、そういえば今日は絵本を買ったんだよな……と、かわいらしい淡い色彩で描かれた小鹿の表紙をようやく開いてみた。「キンダーおはなしえほん傑作選」だから、せいぜい幼稚園の年長さん向けかなと、一杯機嫌のまま気楽に読み始めたのだけど。

そのようにして、心の準備も何もない状態で、熱くて冷たい激しい言葉に出会った。知らない詩人だった。まったく油断していた。

詩:吉田一穂/絵:初山滋『ひばりはそらに』
フレーベル館2007年発行(1969年キンダーおはなしえほん6月号初出)

有名な詩人らしい。松岡正剛の千夜千冊などにも記事があった。この人の本業の詩に分け入っていく勇気はいまはない。『ひばりはそらに』の話をしよう。

◆◇◆

かわいらしい希望の物語を予感させる最初の見開き。あっけらかんと伸びやかにスキップする半袖の女の子は、主人公の小鹿に自らを重ねられる小さな読者の姿を物語のはじまりに描いたのだろうか。足取り軽い小鹿と歩を揃えて、虹の掛かる空を見上げている。

むねを はって 、こえ たかく
うたいながら いこう!
そらには、にじが かかっていた。

「ひばりのおちるほうへいこう」と小鹿は歩き始める。「ろばさん あおくさ、さがしに いかないか」と旅に誘うが、「はたらく ろばに かいばが あるよ」と、小鹿の誘いは実にあっさりと拒まれた。歩を進めるにつれて、同じ静かな拒絶ばかりが続く。

町に行くのだと汽車に乗る豚、豚が喜々として向かった町ではハムやソーセージが市場に並び、ニワトリが自らの卵を売っている。ロバはパンを作り、オウムは自分の声を忘れて人まねする。どの動物も小鹿の道連れになることはない。

繰り返しの描写を経るうちに、穏やかに満ち足りたけものたちの背景に、何かが隠蔽されている不安が高まる。虹や「ひばりのなくそら」がいざなう自由へと向かうはずの小鹿は、その旅路でただ「ひとにかわれたとりやけもの」の不自由に出会った。彼らの素朴な平和は、他者の支配する世界に受動的に安住し、自らの不自由に鈍感であることによって保たれているものだった。その危うさに付きまとう不穏な気配は、ページを繰るごとに小鹿と読者の前にひたひたと忍び寄り、ついには「たかのはねのついたや」に射られて落ちる鷹の登場によって、破綻を決定的に露わにする。

街はもはや目指すべき場所ではなくなった。森への退却を経て「むねを どきどきさせて たにまへ にげこんだ」小鹿は、谷底でふと躓いた貝殻をそのまま蹄で掘り出した。「おや? こんな ところに かいがらが」と訝しがる小鹿に、貝殻は海の美しさを歌い始める。谷底がかつて海だったと貝殻に告げられた小鹿は、山に登って海を眺めた。

「あっ あれだ! うみは。くもを かぶった やまの むこうに みえる、あおいのが うみだ。きらきら ひかって、まるで におうようだ!」

小鹿の声に誘われて出てきた雷鳥は、海の向こうに「ひろい ひろい くに」があることを教え、「ながい あしと つよい つのを もっている きみが、なにを おそれる ことが あろう。わたしたちの おやたちだって、いちどは みんな、うみを こえてきたのです」と、小鹿に新しい希望を伝えた。

小鹿は海を目指した。もう旅の道連れは当てにしない。ただ一人で、「ひばりの あがる そらの もと」を目指して川を下っていく。ついにたどり着いた海の、磯の匂いと海風、波の音。塩辛い水。海のかなたに霞む紫色の山を見て、「どうして うみを わたろうか!」と決意する小鹿。

苦労して海を渡った小鹿は、どんな希望の地に上陸したと思いますか。

花咲き青草が輝く野を期待して最後のページをめくると、意外な景色が待っていた。茨に覆われた「ひとの けむりも たたない あれち」。しかし、鮭が川を遡るその地に誇らしく鹿は降り立つ。その地の空に高く上がるひばりを描いて、物語は終わる。

◆◇◆

自由とは……と思う。吉田一穂の問いかけは厳しい。ひばりの舞う空を目指したいとは思わないのか。所与の世界を疑わずして、そこから一人で旅立つ勇気なくして、憧れているだけでは、目指す高みにたどり着けない。しかし青年の足は強いはずだ。いつか道を示してくれる友とも出会い、また君が友を助ける日も来るだろう。君の理想を疑う者は置いていけ。軽々と訣別せよ。それが自由を目指す旅なのだ、と。

たぶん世の中には、きわめて大雑把に分類すると、ひばりの高く上る空に憧れる人間と、そんなことは頓着しない人間がいると思う。後者の生き方のほうが賢くて、経済的にも社会的にも成功するんだろう。これから育っていく小さな人間に、大人は何を伝えたらいいのか。それはやはり、ひばりの鳴く空への憧れを胸に抱えて、海をも渡っていく勇気のほうだと自分は思う。だから、博士や大臣なんていう安っぽい「将来の希望」などではなく、ただ一人で荒地へとたどり着く旅へといざなうこの詩は、やっぱり「希望」の物語である。厳しい旅だが、辛くはないよ。わくわくする楽しい冒険なんだから。初山滋の絵は、最初から最後まで優しい。

坂口安吾は「空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。」と書いた。まったくそうだ、と思う。「ひばりの おちる ほうへ」行きたいと思わない人間とも、私は話をしたくない。いや、自分ももう年だから、なかなかそうはいかなくて……という現実も分かるんだけど、せめて未来のある子どもには、混じり気なしの、そういうきらきらした希望を語りたいよね、って思うのだ。

というわけで、ページを閉じた後の余韻ったら、もうね。油断しててこういう本に出逢うと、呆然としてしまうのよ。

2017年7月7日金曜日

水彩絵の具

絵が下手くそで、十代の頃はいつも描きながら泣いていた。頭の中に絵はあるのに、未熟な手でそれを描くことができない。

思い切って色数を絞ったり、わざと変な点描をしたり、鮮やかなポスターカラーや透明水彩やアクリル絵の具を使ってみても、全くうまくいかず、本当に絵の上に突っ伏して泣いてばかり。

だって、たかが生まれて十年余で、自分には「才能がない」なんてことを納得するのは、とても耐えがたいことでしょう? ようやく諦めることができたのは、大学生になって本気で修行してきた友人に出会ってから。「あんたの線は間違ってる」って私のデッサンに消しゴムをかける友人の正しさに、あっけらかんと笑えたとき。もう、自分は絵描きにはなれないんだからいいんだ、と、やっと安心できたような。

絵描きになろうとしてなれなかった父が先日死んだ。

瀕死の父の枕元で、とくにやることもないので、その友人(私があちら側にいることを教えてくれて、父がそちら側にいようとしたことに敬意を持ってくれた人)が父に贈ってくれたスケッチブックと色鉛筆を使って、無駄にいい加減な写実ふうの絵を描いていた。あじさいの、青とピンクのゆらゆらしたグラデーション。ほら、お父さん、6月だしさ、あじさい描いてみた。どうかな? ちょっと輪郭線が強すぎるかな、この線は変かなあ。ここ、影になるはずなのに、おかしいよね、私の明暗は。眼がダメなんだよね。うーん。

返事はない。小学校で描く絵にも容赦ない批評を加えていた父は、老い病んでもう意識もなく、もう私の絵を叱ることもなかった。

ぶひぶひと鼻水すすって、ただ下手くそな絵を描く。

他の家族も知らないところの、私と父の最後の時間。穏やかで、平凡な、入口も出口もないような。

いつになったら絵がうまくなるんだろ? ひょっとして、まだそんなこと思って生きていくのかな?

ずーっと下手くそでもいいけど。こんな機会でもあると、ただ絵を描いているだけで楽しかった昔のこと、少しでも覚えていられるだろうから、きっと。

羽化時の逆光でうまく写真撮れなかった

2017年3月13日月曜日

水と土

今年の3月11日には、あの時は意外と夜は寒くて、まだ春が遠かったあの感じを、体感でしみじみ思い出したよね、などという話を友人とおしゃべりしていた。通常なら1時間弱で通勤していた道筋を絶たれてバス停で長時間待っていた人と、近場の職場だったから遠距離通勤の人が帰れずに待機する会社に差し入れをした私と。

◆◇◆

随分と遡る話だが、今年の正月に母の要望で初詣に行った。電車もバスも路線がないのだが、車でなら行ける場所の神社に。そんな場所に立派なヤシロがあって、「文化不毛の地」だもんね、なんて軽視していた北関東の地元の未知の歴史に驚いた(卒論は近畿の寺社縁起を使ったのに、近場のスポットなんて知らなかったことを後悔した次第)。

それで慌てて、今は水運の歴史を付け焼刃で調べている。縄文海進とかその辺も踏まえて、今となっては鉄道もない陸の孤島なその近辺にあり得た人や物資の流れは、利根川流域の水運というキーワードがなければ説明がつかないという直観。すると、鉄道の沿線を「町場」の所在地だと思っている近頃の通念からは、がらっと異なる地理が見えてくるのね。近世から近代に向けての断絶に関しては、こんな話も。
「……つまり『舟揖ノ通スル水部』の両側は、すべて河岸地として官有地化することを強行した。政府の見解による河岸地とは、たんに水路の両側の部分だけの認識にとどまり、湊としての機能などはまったく考えていなかった。この認識は現在まで一貫して続いている。明治初期の河岸地・物置場の官有地化が一段落した後は、財政難を解消する一つの方策として、適当な相手を見つけては払い下げ処分をしていった。旧大名藩邸の物置場の多くは、明治10年代から20年代にかけて、民間の有力会社に払い下げられた。図34の物置場の変遷を地図上で追ってみると、相当の部分が藩閥と結んだ政商の所有になっている。河岸の場合も江戸湊の中心部の日本橋に限ってみても、魚河岸をのぞいて、周囲はいずれもしかるべき「会社」の手に移っている。そして大部分の河岸はのちに東京市の基本財産として移管された。しかしその後も切り売りが続き、現在ではほとんど、この基本財産はなくなった。」(鈴木理生『江戸の川東京の川』)
あら? どこかで聞いた話??政府の覚えめでたいどこだかが、ズルをしたとか、何とか。

近世だってちっともそこには、牧歌的な理想社会なんてありゃしないのだ。たかが利根川の水運というトピックをちょっと見ただけでも、儲かるネタに殺到して互いの足を引っ張り合い、「取り締まってくれ、アイツが悪い」と幕府に上訴……の繰り返し。互助的・自律的な市民社会の形成の契機はなかったのかなあ、と知人と雑談した。

江戸時代は循環社会……などという通念も多分に幻想かと思う。需要と供給の規模が限定的で、技術的にもそれ以上の開発が不可能だったからこそ、資源を枯渇させないで済んでいただけで、後世を見越しての資源管理なんて、あんまり考えていなかったような。金肥(鰯や鰊)の話、頭クラクラする。それが、水運の見せる相貌の一面であって。

それでも私は、なかったはずの歴史を捏造するような、物語をこっそりと作ってみたいと思っている。つまんない既得権益を守る人もいなくて、美しい景色の中で、出自の違う人間どうしでも、みんなが助け合っていた、とか。

◆◇◆

デモにも行かなかった今年の3月11日について。

これは中井。染物の川の昔。





2017年1月24日火曜日

外付け記憶装置の不全

いい年になっても、「生まれて初めて」は起こりうる。生まれて初めて鍋を焦げ付かせるとか。

たまたま買ったばかりの鍋に、肉じゃがを仕込んで火にかけた。そのまま仕事をしているうちに、打ち合わせが入って、終わってみたら、半ば炭に変わった夕飯が鍋底に張り付いていた。明日の朝ごはんも兼ねていたはずなのに、すべておしゃかというわけ。ちょっとでも気にかけていればよかったはずという仮定法過去な感じの、誰のせいにもできない理由で、それでもえらく受動的に突き付けられた絶望の黒い鍋。

大人だから泣いたりしないけど、ちょっともう、今すぐに仕事も辞めて、涙さえも凍り付く白い氷原とか、ごらんあれが竜飛岬北のはずれとか、そういった方面に一人で旅立ってしまいたいような衝動に駆られましたね。

(あ、ちなみに、糖度の高い玉ねぎがいちばん焦げ付くのだなあ、という、仕方なく実証的な豆知識が得られたことを記しておきます。)

◆◇◆

で、たかが炊事の失敗でこんなに悲しくなるという地味な発見の果てに、そういえば、村上春樹の小説にはスパゲティの茹で加減を失敗しただけで死にたくなるような女の子が出てくる、といった評を、昔読んだことを思い出した。私が村上春樹を読んでいたのは主に高校生のころだから、まだ『ノルウェイの森』が謎のベストセラーになる前の誰かのエッセイではないかと思うんだけど、誰が評していたのかさっぱり思い出せない。

あ、『火野鉄平のブックジャック』かなあ? だとしたら単行本は持ってないから、中学生の3年間だけ読んでた『ビックリハウス』かもしれない。火野鉄平ムカツク、って思ってた女子中学生当時の感覚は、山形浩生ムカツク、って思ってた女子大生崩れ当時の感覚と近いなあと今になってオバサンは思うけど、もうオバサンになってしまったので、今でもやっぱりムカツクわーとか言っても、おのれの教養コンプレックスが際立つだけで、ぜんぜん可愛くないよな。これも余談だけど。

◆◇◆

今年になって、とある成り行きから『常陸国風土記』を入手しなくちゃ、って決めた。で、誰かが、戦後ようやく岩波文庫が入手できることになって買いに行ったが、売っていたのは大して興味のない『常陸国風土記』だったけどとりあえず買った、みたいなことを書いていたよな、と思った。

ところが、さて丸善なんかに行ってみると、まず岩波文庫の目録には『常陸国風土記』はないのである。まあ品切れか、とネットで調べても、『風土記』はあっても『常陸国風土記』は見当たらない。これは思い違いか、ということになって、じゃあ誰の記述だったんだろうと調べたが、自分で思い出さない限り、いくらGoogle先生でもそこまでは上手に教えてくれない。終戦時に学生だった理系の人ではなかったかなあ、と当たりをつけて、山田風太郎の『戦中派不戦日記』じゃないかしら、と必死でページをめくってみるが、どうやらそれらしき記述はないみたい。うーん。夜中に滅茶苦茶な書棚と、書棚の膝の高さのあたりから連続して床で地層を形成している本の雪崩を漁ってみたけど、もうどうにもお手上げで諦めました。

これからもっと年を取るでしょ、持ち家も子孫もないから、本だって処分していかなきゃいけないし。

そうすると、こんなふうに朦朧とした物語の断片だけが、鍋の表面に浮いてくる灰汁のように、もろもろと漂うことになるのだろう。そのたびに、思い出せない過去との折り合い方に恐怖しながら、でも最後には全部忘れてしまうんだろう。空っぽの老婆になっても笑っていられるような、そんな未来が来ればいいんだけど。

どうなんだろう?

表参道交差点。卒業して初めて働いた街で
よくお使いに行かされた山陽堂がまだある。